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中塚正博

株式会社日本食品開発研究所・代表取締役社長。
愛知医科大研究生として長年にわたり低酸素環境下における順応効果の研究に携わる。
1951年兵庫県生まれ

- 更新日:2008年04月22日
- 時変われど皆、桜に想う
『桜の樹の下には、屍体が埋まっている』桜の妖美さを紹介したアクアクララスタイル春号
(2p)「PHOTO ESSAY」梶井基次郎の記事に触発され・・・という訳でもないのですが、
今回は桜にまつわるお話です。
私の会社は京都・鴨川のすぐ近くにあり(京阪七条が最寄り駅)、徒歩一分で鴨川沿いの
桜を眺めることが出来ます。
鴨川の上流から下流を見た時の風景。桜並木の向こうに見えるのがJR(在来線と新幹線)の鉄橋です。
桜の頃、広島出張で縮景園(広島藩浅野家別邸の庭だったところ)も見学。
ソメイヨシノは満開でしたがその他の桜も見頃で見事なものでした。
「桜 ― 京都・醍醐寺にて」
これらの写真をmixiの日記に書き込んでいましたら、友人同じく・・・マイミクの京都某有名大学教授が醍醐寺の桜を撮影し、日記に書き込んでいました。
ご存知の方も多いと思いますが大昔、豊臣秀吉が醍醐の大茶会を開いた場所で樹齢はなんと、500年!!! 綺麗さだけでなく風格があり、圧倒されます。
【この写真は、その友人の許可を頂いて使用しています】
「時変われど皆、桜に想う」
桜については梶井基次郎だけでなく、古くから詠われていますよね。後で紹介しますが今、日本の桜の80%を占めているソメイヨシノは江戸時代末期~明治初期にかけて、植木職人たちが作り出した品種だそうです。従って、奈良時代や平安時代に詠われた歌にでてくる桜はソメイヨシノではなく山桜だと思われます。
【奈良時代】あおによし奈良の都はさく花の におうがごとく今さかりなり
【平安時代】いにしえの奈良の都の八重桜 今日九重ににおいぬるかな
京都には御所がありますので『右近の橘、左近の桜』といって、雛人形の飾りにもあるような表現方法も実際にあったわけです。
一方、『桜の樹の下に屍体が・・・』というより、その下で死にたいと詠った佳人もいます。西行法師です。
願わくば花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ
「きさらぎ」は旧暦の二月ですから、今の三月「望月」は満月の頃という意味で、「花」はもちろん桜です。「春の満月の頃に、桜の下で死にたいな」と言う意味でしょうが実際、西行は2月26日になくなったと記録があるようです。当然、この桜もソメイヨシノではありません。
一方、梶井基次郎の文学碑が松阪城址にあるようですが、江戸中期の国学者で松阪出身の有名人が本居宣長です。この宣長が詠った歌が、
敷島の大和ごころを 人 問えば 朝日に 匂う 山桜花
「日本人の心は、清らかでまたその散りぎわが潔い朝日に照らされて匂う桜のようだ」といった意味なのでしょうか。この桜は文中にあるように山桜です。
この歌はその後、武士道と重ね合わせ、その時代、時代に都合のいい勝手な解釈をするようになっていきました。その典型は神風特攻隊最初の部隊名に『敷島隊』『大和隊』『朝日隊』『山桜隊』と付けたことでしょうか?

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